2025年の梅雨時期くらいから、朙さんを追いかけてきた。
その2025年も終わり、総括をしたいとは思っていたけれど、年末年始の行事やムードにすっかり巻き込まれて、楽しかった反面、少し踊らされていた感もあった。
正月休みが明けて、世間が日常を取り戻した今だからこそ、ようやく昨年を振り返れる気がしている。
昨年は、朙さんを知ったばかりの年で、だからある意味、すべての楽曲が新曲で、一度に大量の情報が流れ込み、その世界を理解していくのに時間もかかった。でも、その過程がとにかく楽しかった。

パズルのピースを拾い集めては、少しずつはめていくような感覚。
直感で掴んだ部分と、実は違っていた部分、そのズレさえも面白くて、彼女の持ち味や個性が、徐々に輪郭を持ちはじめる。その初期段階に、ずっと惹きつけられていた。
当時はSNSに上がっていたこともあって、「ゆがみ」と「ゴースト」をよく周囲に聴いてもらっていた。
個人的には「ゴースト」から受け取った衝動がとても大きくて、理由を言語化する前に、先に心が動いた感覚があった。
仕事仲間、とくに女性陣からは「ゆがみ」の構成の明確さが強く支持されていて、クリエイターたちからも、創作の根底に流れるテーマとして深い共感を集めていたのが印象に残っている。
そんな流れのまま迎えた夏。
発表された「タイトル未定」と「キャンバス」。
外へ打って出る旗を掲げたツーマン以降、県外を含め、各地で戦っていくための楽曲が補強され、その楽曲を携えて、まさに旗を上げ続けていた時間だった。
東京や北関東各地でステージを観て、関西にも足を運んだ。直感的に「これは見ないわけにはいかない」と思い、自然と追いかけていた。
とくに忘れられないのが、大阪でのライブで
ファーストインプレッションで「ゴースト」から受け取ったあの衝動を、丁寧に紐解いてくれるような、曲づくりの信条が語られたMCがあった。あの時間は、本当に胸に残っている。
あまりにも嬉しくて、宿泊地より少し手前の駅で降りて、曲を聴きながら歩いて帰った。
今振り返っても、あれはすごく大切な夜だったと思う。
米沢のチャンピオンズカーニバルの存在も大きかった。
彼女の言葉を借りれば「猛者」たちのステージを目の当たりにして、シンガーソングライターという生き方を、身体感覚として実感する時間だった。
知らないことだらけのなかで浴びた、ステージの迫力。
「もすきーと」で会場全体がひとつになるシンガロング。
そして、ラストを「余白」で締める、あまりにも堂々とした布陣。
どれも強く、はっきりと記憶に残っている。
個人的には、ステージを撮影させてもらいながら、「記録」と「表現」について深く考え、実践し、反省し、修正するという、理想的なPDCAを回すことができた半年間でもあった。
長年抱えていた創作における問いに、ひとつの答えをもらえた感覚があり、自分の表現の深みが、確かに増した時間だった。
長く続いていた精神的な谷間を、一気に満たしてくれたような衝撃。
それもまた、正直な実感だ。
何よりドラマチックだったのは、「タイトル未定」と「キャンバス」という楽曲が、磨かれ、育っていく過程を目撃できたことだと思う。
完成度の高い映像作品にも引けを取らない、いや、それ以上と言っていいほどのドラマを、劇場版のような感覚で体感していた。
まずはプレビュー版が公開され、ライブという場でロケテストされ、栄養を吸い込みながら研鑽され、完成へ向かっていく。
それは商業的な制作というより、人生の日常から生まれていく楽曲たちだと、自然に思えた。
音楽ファンとして、こんな瞬間に立ち会えたことは、これまでにもほとんどない。
これほど心を溶かしながら音楽と向き合えた年も、記憶にない。
そんな感覚を与えてくれたのが2025年であり、朙さんを追いかけてきた時間だった。
今年は、受け取ったものを大切にしながら、吸収し、再生産し、何かしらの形で返していけたらいい。
表現の土俵は違っても、創作の可能性を信じて、キラキラした一年にしていきたい。